ある方からもらったメールを読んで唸る。
…何が一番空しいんだろうって?
「空しい」
「虚しい」
「むなしい」
で、現在、実家に帰省中なのですが、懐かしい原風景の隙間を一人でとぼとぼと歩いてみたりするわけですが、いろいろなことを思い出すわけですね…
子供の頃に見たていた風景は、なんだか全体的にやけに狭く見える、というか、こじんまりしていて、もっと大きくて逞しかったはずの父親の背中みたいに、物悲しくしぼんで見える…
路地から路地を進むと、思いもよらず、埃をかぶって完全停止していたはずの記憶回路が、不意に、動き出したりする…
そうだ、あの路地裏のスナックの2階には、外国の女たちが太陽の光から逃れるようにして暮らしていたっけ…
まだ小学生だった僕は、ある夕暮れにその少しばかり褐色の女の一人とその路地裏で遭遇したのだ…
僕はその鼻孔の奥を突き刺すような香水の匂いと、田舎町にしては派手過ぎる服装の外国の女を前にして、どこかで覚えたある言葉を頭の中で唱えたような気がする…
「あばずれ」だ…
その女は笑ったような気がするが、これももうでたらめな記憶だからよく解らない…
ただ、逃げ道もない狭い路地裏で鉢合わせしたから怖かったのは覚えている…
今思えば、どういうわけでこんな田舎町に出稼ぎに来たのかは解らないが、とにかく「生きる術」と僅かな「可能性」に縋るようにして辿りつついたに違いないアジアの女の抱えた背景なんぞ、まだ小学生だった僕には想像するのは無理だったから、残酷な話だが、こう思った…
「汚い女から早く逃げろ」
今日の午後、ある路地裏で30年弱の月日を飛び越え、不意に動き出した記憶回路の奥で蘇った「彼女」の姿に僕はうろたえる…
その物悲しいトイレの芳香剤のような香水の匂い、けばけばしくて目を背けたくなるそうな派手な衣装に、「必死」と「懸命」が透けて見えてくる…
そして、約30年後に蘇った彼女の「美しさ」に驚嘆する…
だけど、その刹那、同情、憐憫、憐れみ…なんて言葉が頭の片隅から現れて、その彼女の「美しさ」をぼかしてしまう…
それはもう、一度意識してしまったら僕の意思では取り払えない…
僕の脳髄はもがきながら彼女の美しさを再び探し始めるが、それはもう、すでに手遅れなのだ。
で、いつだっかか事件になったフィリピンボクサーを想う。
恐らくは「かませ犬」として招聘され、この日本の地に辿りついた彼は、ボクシングで試合をするために来たのに、それを放棄し、この異国の地で「再出発」するために逃げ出したのだ…
「生活」や「現実」から逃げ出したかったのか、あるいは、より積極的な「人生」のために一目散に走り出してしまったのか…?
もしかしたら、「彼女」に会うために逃げ出したのかもしれない…
で、僕は立ち止まってしまったのだ…
どっちなんだろうか?
自暴自棄的な諦めの「消極的な逃走」なのか、それとも、生々しい現実を打破するための「積極的な逃走」であったのか…?
きっと、後者だ…
だって、言葉さえ通じないこの異国の地で、全てを投げ出す理由なんて見つからないし、より消極的な逃走の究極が「死ぬこと」だとすれば、それを実行するのに異国の地は単純に不便だ…
より消極的な逃走なんて、恵まれ過ぎている僕の情緒的な勝手な思い込みだ…
うるさい蝉の鳴き声にうんざりしながら、あぁ、彼らは一週間鳴き続ける為だけに、一年以上も土の中で身を潜めて待ち続けてきたのだ…なんて思って、さらに奥歯が痛むような気分になる…
で、馬鹿みたいに、いつか遭遇した「彼女」と、ボクサーとして来日しながらそれを放棄して逃げ出した「彼」が巡り合えたらいいのに…なんて想う。
真夏のうだるような日差しの下で、ずーっと前から抱えていた「空虚」が、下腹部で鉛のように横たわっている…のを意識しながら、汗を拭う…
「情熱」…
「熱意」…
「懸命」…
僕はそういう大切なものを拾い集めるためにボクシング観戦を続けているわけだが、いつだってある「矛盾」に苛まれている。
これらの宝石よりも眩くて尊い価値観を脳髄に刻むために毎日考えているのに、それらが不意に、僕をあざけるように笑い出すのだ…
「おまえは絶対に、生涯オレタチを抱きしめることなんてできやしないのさ…」
で、僕は爪の先をかじってそれを吐き出すと、こう考える。
…あの歓楽街には和風キャバクラってのがあって、若い女の子が下着もつけずに浴衣を羽織っていて、その胸の谷間に千円札を何枚か挟み込んだらちゃんと触らせてくれるって誰かが言ってたっけ。
そんな独り言が頭をよぎった後で、強烈な痛みのような吐き気を毎度毎度味わうのだ。
逃走を企てた出稼ぎかませ犬ボクサーの視界の先にあった風景とは、果たしてどんな風景だったのだろうか?
あの路地裏で遭遇した出稼ぎ女は見ず知らずの日本人に毎夜毎夜身体を撫で回されながら、どんな風景を見ていたのだろうか?
「未来」…
と、呟いて、狭い路地の真ん中に落ちていた蝉の死骸を爪先で蹴飛ばした。
あまり人通りはないけれど、ここで死んでいたらきっと誰かに踏み潰されてしまうからだ…
御愛読感謝
つづく
…なんて、書いてみましたが、もしかしたら、本当に浴衣ギャルの胸の谷間に千円札の束を突っ込みに出かけるかもしれない。
どうかな、どうしようかな…
行くか、我慢するか…
どうすっかなぁ…
<おまけ>
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今夜は「聖母たちのララバイ」を聴きたい…
本当にすごい曲だと想う…
そう、あの路地裏で「彼女」に遭遇した頃に流行っていたような…