1981年3月8日の、「不敗神話」の終幕を想う… | ボクシング&ロック野郎 higege91の夜明けはまだか?

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人生の曲がり角に遭遇したボクシング&ロック・マニアhigege91。暇を見つけてはホール通い。ああ、俺は戦っているか!? ああ、俺は俺の求める『俺』に近づいているのか!?

多くの方々にとって、世界タイトルマッチと言えば、その、王座奪取の興奮と感動の場面であったりするのだと思うわけですが、しかし、その一方で壮絶なる王座陥落の場面が浮かぶ方も多いでしょうね…


日本のボクシング史上においては、もっとも衝撃的だったのはこのチャンピオンの王座陥落であったのではあるまいか…?


まさに、日本国民にとって、大いなる驚天動地、青天の霹靂…


1981年3月8日 WBA世界ジュニアフライ級タイトルマッチ


チャンピオン 具志堅用高

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挑戦者 ペドロ・フローレス


日本の誇り、無敗の「カンムリワシ」が棒立ちになって滅多打ちにされ、ついにタオルが舞ったのは、12回1分45秒…


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前戦で多いに苦しめられたフローレスとの再戦となったこのタイトルマッチで、連続防衛記録を13回まで伸ばしていた具志堅さんは地元沖縄の地で豪快に散ったわけですが、この時、僕は9歳でありましたね…


負けた、具志堅が負けた、そんな馬鹿なことがあるかっ、あるはずない、何かの間違いだっ!!


おぼろげではありますが、そんな想いに囚われた記憶が僕にはある…


そうだ、具志堅さんが防衛に防衛を重ねる度に、僕は「具志堅防衛達成」の興奮に痺れたまま、天井からぶら下った蛍光灯の吊るし紐に向かってワンツーを繰り出し、さらに、僕と同じように興奮の坩堝に陥った年子の弟と「具志堅ゴッコ」を始め、ついには真剣なる殴り合いに発展、二人揃って父親に怒鳴られたものだ…


今想えば、あの、具志堅陥落の巨大なる喪失感とは、生まれて初めて体感した「リアル」であったような気がしてくる…


つまり、この世界とはかくも「思い通りになどならん」…ということを、その厳しい「リアル」を、ある種のグロテスクさを以って、日本の誇りであった具志堅さんの敗北を通じて幼心に突きつけられたような気がする…


血みどろになり、ボロ雑巾のようにされて倒れた無敗の「カンムリワシ」の最後が、まだまだ現実を理解できていない少年であった僕の心に大きな穴を空けたのは事実であります…


----ちょっちゅね、ちょっちゅね、ちょっちゅね…


そうだよ、そうそう、子供心に、具志堅さんの「不敗神話」は永遠と続くものだと思っていたよなぁ…


子供心にとっては相当なる「理不尽」の出現、過剰なる「不条理」とも言える衝撃でありましたねぇ…


ううむっ…


さて、伝記ノンフィクションの類に拠れば、具志堅さんの地元・沖縄で初めて開催された記念すべき防衛戦であったこのタイトルマッチでありますが、ある種の不穏は御本人の中にはすでにあったそうですね…


---世界記録の12回目防衛ってことがあるから、やる気も十分で随分練習したスよ。あの試合(12回目の防衛となったバルガス戦)が本当の具志堅の最後じゃなかったかな?あすこで引退できればスカッとしたんだけど。本当にあの後、引退したいと思ったんだ。


ははぁ、しかし、「日本の誇り」、「期待の的」となっていたその両拳を隠すことが許されるような状況ではなかったのでしょうねぇ…


---控え室にいる間に汗はドンドン出るしね。試合前に汗をかくようじゃダメよ。リングに上がったらフワフワの感じで、足が吸い込まれそうで不安だった。ああいうのを‘足が地につかない感じ‘って言うんじゃない?8回くらいかなゴング前にオレもうダメだって言ったら、会長にイスを取られて押し出されたね。負けるべくして負けたんだよ。


世界チャンピオンと日本国民が「固い絆」で結ばれていた、日本ボクシングの歴史において、「幸福な時代」の終焉…


幼心に刻まれた、生まれて始めての「不条理」、その苦い味…


このタイトルマッチの位置付けは、やはり、僕にとっては「特別」なんですね…


御愛読感謝


つづく


参考:拳闘浪漫 日本ボクシング黄金伝説