鬼塚選手といえば、まさに、「ストイック」と言う言葉が頭を掠めますねぇ…
全日本新人王を獲得、当時の日本ジュニアフライ級チャンピオンの中島俊一さんの持っていたベルトを10RTKOで奪取すると、無敗でWBA同級王座決定戦に出場…
これに判定勝ちして19W16KO無敗で世界チャンピオンに…
さて、当時は辰吉丈一郎選手も大活躍の時代、辰吉選手の戦いが劇的で非常に分かり易かったこともありますが、それに対して、鬼塚選手の王座決定戦、タノムサク戦の判定決着はなんとも「微妙」すぎる見え方だったために当時、社会的にも大々的に取り上げられちゃったんですよねぇ…
あれは1992年4月…ってことは、僕は二十歳でありましたが、テレビ生中継で観ていましたが、試合終了の瞬間、こう思った覚えだけは鮮烈に覚えておりますねぇ…
---ああっ、負けたっ、これ以上無理ってほど強烈に打ち合ったがダメだったか…
ところが、判定は「勝者、鬼塚っ!!!」っていうんで、あれっ!? ってな印象でポカンとしちゃったのは確かであります…
で、つい最近、ちょっと前のボクサーたちの話を僕の同年代の人と話したときに鬼塚選手の話になったんだけれど、鬼塚選手の王座戴冠の背景に政治力や資金力がバブル景気があったんでしょ?的な言い方をされたので、僕は思わずムッとしちゃいましたねぇ…
上のリンクは当時の世界ランカー(前東洋太平洋チャンピオン)に日本ランカーだった鬼塚選手が挑んだ試合映像観戦記でありますが、つまり、当時の多くの方が鬼塚選手がだれだけ天才的な強さと鋭さを持っていて、さらに、世界ランクをどんな勝ち方で奪い、当時の日本チャンピオンをどんな戦いを経てベルトを奪取し、そして、世界王座決定戦へと駒を進めたのか…?って部分は全く御存じないのだなぁ…と感じたわけであります。
いやいや、タノムサク戦に関しては確かに微妙な勝ち方でありますが、しかし、それまでの戦いぶりは本当に切れ味抜群で、本当に美しいって表現が相応しいほどでしたね…
さて、しかし、世界チャンピオンとなってからは距離感を駆使すると言うよりもガード主体のやや近距離での打ち合いを好んで選択して戦っていた印象ありますが、実は、ここに、僕の中で、鬼塚選手の「ストイック」なる印象が色濃く残っているわけであります…
つまり、世界王座獲得後、鬼塚選手は数々の激闘での接戦勝利と引き換えに、目を患っていたわけですが、ズバリ、「網膜はく離」を約2年も隠してリングに上がり続けていたわけですねぇ(後に書物を通じて知りました)…
果たして、その選択が正しい…とは僕はとても言えませんが、しかし、ただ黙々と、淡々と失明の恐怖とも戦いながら、世界の強豪と激しい打ち合いを演じたわけで、ここにある種のダンディズムといいますか、一人のボクサーの「生き様」を感じずに入られませんですねぇ…
そういう意味では、同年代の人気ボクサー、辰吉選手が40歳になってもなお、現役を公言し続ける「生き様」にも通じるものありますねぇ、もちろん、質は違いますが…
まぁ、なんというか、「オレにはこの生き方しかできない」的なる男臭さが漂って参ります…
さて、鬼塚選手は6度目の防衛戦で韓国の李を迎えて9RTKOに沈み、王座陥落するわけですが、その最後も壮絶極まりない内容でしたね…
もう滅多打ちに合い続けながらも、しかし、絶対に倒れることを拒み続けたわけですが、ここにもその「生き様」の片鱗が残っておりますね…
ハンサムで、ストイックな印象の鬼塚選手でありましたが、果たしてその実態は、僕の中ではある種の男臭さが際立っております…
僕のような誘惑に直ぐに負けるタイプのダメ人間からすると、非常にまぶしく映るタイプの世界チャンピオンであった、と改めて感じます…
御愛読感謝
つづく