ちょっと、古い雑誌を引っ張り出して読んでます…
拳闘浪漫 日本ボクシング黄金伝説 ベースボールマガジン社 仲里繁 「誓いの拳」 より
これ、平成15年発売の特別発刊の雑誌ですが、っていうと、だいたい9年前ってことですね…
これに収録されている加茂佳子さんの文章です…
2003年4月26日、時の世界チャンピオン、メキシコの曲者、日本でも御馴染みの、あのオスカー・ラリオスが保持していたWBC世界スーパーバンタム級タイトルに挑んだ、元東洋太平洋スーパーバンタム級チャンピオンの仲里繁さんを扱った記事…
さて、試合はダウンを奪われる展開も、しかし、その強打でチャンピオンの顎を粉砕、あのラリオスが目に見えて苦しそうでしたねぇ…
タイトル獲得まで超のつく肉薄、しかし、無情なる判定負けを喫してしまいましたが、この試合はその年の年間最高試合に選ばれる名勝負となりましたね…
で、この記事ですが、その世界初挑戦の敗戦からの再起を決意したことを扱った内容となっていて、御家族のこと、奥様の言葉について触れることができます…
仲里さんの元に誕生した女の子は心臓に障害を抱えていて、そんなお子さんと共にある奥さまは、その苦悩と敗戦にくじけそうになった仲里さんをこう言って勇気付けたという…
---夢は最後まで見続けた人の勝ちなのよ
そして、同じジムの兄貴分であった元日本フェザー級チャンピオンであった、平仲信敏さんが事故死してしまうという悲劇も起こり、この出来事で仲里さんは「生きるということ」を痛烈に意識することになった、とあります…
以下、そんな背景を含めての、記事本文から仲里さんの言葉を抜粋…
「昔の僕は不満だらけでしたよ。ないものねだりで物欲も強くて。でも生後5ヶ月で心臓の大手術をして入退院を繰り返しながら、懸命に耐えるあの子の姿が言っていた。普通に食べられること、仕事ができること、家族が、友人がいること……。当然と思っていることの中に幸せはあるんだよって」
「おい仲里よォ、死んでしまえば、つらさも喜びもなくなってしまうさ。だから負けも勝ちも楽しめ。生きてる限りは思いっきりやれ-そう敏信さんが教えてくれた気がしたんです。それで腹が決まった」
---死んでも勝ちたい。命を懸けて戦う。
「僕はその言葉は使いたくない」
「ボクサーたちが言う、その気持ちは分かるんです。でも間違って、ということがある。僕は家族を不幸にしたくないし、生きてチャンピオンになって、楽しみたい」
「世界戦はいいね。地球のあっちとこっちからやってきた男が、頂点を競う。わくわくするね。一度負けたからってあきらめてたまるか、って思うね」
さて、そして、仲里さんは2004年にラリオスに再び挑むもこれも判定負けしてしまいます…
さらにそれから約2年挟んで、敵地フランスに渡って、時のWBA同級チャンピオンの、マヤル・モンシュプールに挑戦、これ、その拳に人生の全てを乗せての、壮絶なる、歴史的打撃戦に身を投じるも、6RTKO負けに散ってしまいましたね…
そして、引退、現在は郷里沖縄でボクシングスクールを開いて頑張っておられるそうですね…
沖縄のハードパンチャー、その壮絶なる世界戦はどれも実にスリリングにして、圧倒的に感動的でしたね…
個人的に、特に胸を震わされたのは、やはり、6Rまでに倒すか倒されるか、という作戦で臨み、その6Rに豪快に散ったモンシュプール戦が一番胸に迫ってきましたねぇ…
あれは何度見ても感涙必至の激闘ですね…
どうしても勝たせたかった、どうしても勝たせたかった一戦でしたね…
魂の打ち合い…とは、まさに、この「モンシュプール×仲里」のことですよねぇ…
その、純度の高さは、絶世であります…
御愛読感謝
つづく