>ボクシングで世界挑戦経験ある荒川仁人(37=ワタナベ)が現役を引退した。日本ボクシングコミッションに9月30日付で引退届を提出した。
【写真】14年に対戦したホルヘ・リナレス
荒川は04年に八王子中屋ジムからプロデビューし、10年に日本ライト級、11年に東洋太平洋同級王座を獲得した。13年に米国でWBC世界同級暫定王座決定戦に出場し、オマール・フィゲロ(米国)と世界初挑戦。判定負けを喫したが、2回にダウンしながら脅威の粘りを見せ、高い評価を受けた。
14年には米国でホルヘ・リナレス(帝拳)と同王座挑戦者決定戦も判定負けした。15年にはジムを移籍し、16年には日本同級王座に返り咲いた。17年にはWBOアジア太平洋同級王座を獲得も、世界再挑戦には届かなかった。4月にウクライナで判定負けが最後の一戦となった。通算32勝(18KO)7敗2分。
…あぁ、さみしい
いや、ここは明るい気持ちで送り出そうじゃないか
荒川仁人さん、おつかれさまでしたっ‼︎
日本ライト級屈指の技巧派サウスポーといして長く君臨されましたねぇ
ホールで何度となく生観戦させていただきました
キャリア序盤〜中盤は頭脳派の印象強かったですが、それ以降は激闘派へと変貌して行った印象あります
個人的には加藤善孝さんとの2度に渡る闘いが鮮烈だったかなぁ
一進一退…のあの白熱を生観戦できたのは今なお宝物のような記憶となってます
また、フィリピンの強豪、ランディ・スイコと戦った東洋太平洋ライト級タイトルマッチも忘れ難い
結果は引き分けでしたが、ホール客席で大きなため息をついた覚えあります
そして、時の日本ライト級の猛者たち、近藤明宏選手、中森宏さん、三垣龍次さん、嶋田雄大さんらとのサバイバルマッチもまた忘れ難い
思えば、この頃のライト級を駆け抜けたボクサーは非常に個性的でみんな強かった
で、それそれがよく絡んで面白かったですね
そして、敗れたものの、そのガッツにアメリカの地のボクシングファンが度肝を抜かれ、荒川仁人の最高傑作と呼べる一戦こそは、WBC世界ライト級暫定王座決定戦、オマール・フィゲロア戦であります
序盤にダウンを喫するも、その燃え盛る闘争心を発揮、文字通りの、死んでも勝つ…と言う闘いを目に見える形で貫き通した奇跡の一戦と呼べる闘いでありました
さらに、アメリカ再登場はあのホルヘ・リナレス と戦ったWBC世界ライト級挑戦者決定戦
世界屈指の電光石火と最終ラウンドまで争ったあの一戦もまた忘れ難い
その後も世界を目指して闘い続けましたが、最後は敵地ウクライナに乗り込んでのWBOインターナショナルライト級タイトルマッチで敗れた一戦がラストマッチとなりました
41戦32勝18KO7敗2分…
濃ゆいなぁ〜
荒川仁人さんのこの41戦、かなりの熟成度だと思います
痺れます
童顔のスナイパー、ジャパニーズ・ロッキーと評されたその闘いは実に味わい深いものあります
一発より連打型で、巧みに出入りしながら間隙を突くボクシングから、全身全霊で挑み掛かるど根性ファイター型まで体現されました
深く、深く、そして、濃い…
荒川仁人さん、本当にありがとうございましたっ‼︎
たくさんの思い出、いただきました
感謝
大好きでしたっ
あなたは日本ライト級にその名を刻んだ名ボクサーであります‼︎
おつかれさまでしたっ‼︎
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