幻の世界王者 矢尾板貞雄さん死去によせて | ボクシング&ロック野郎 higege91の夜明けはまだか?

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矢尾板貞雄さん死去、86歳 幻の世界王者…59年11月世界戦視聴率92・3% サンスポ




矢尾板貞雄さん


> プロボクシングの元日本、東洋フライ級王者で、引退後は本紙評論家として活躍した矢尾板貞雄(やおいた・さだお)さんが13日午後5時35分、小脳出血のため東京都内の病院で死去していたことが19日、分かった。86歳だった。葬儀・告別式は近親者で済ませた。喪主は長男、和彦(かずひこ)氏。元世界フライ級王者の白井義男さんに続く2人目の日本人王者になることを期待されたが、2度目の世界挑戦を前に突然現役を引退。〝幻の世界王者〟と呼ばれた。



【写真】世界的名手のジョー・メデルに左ストレートを放つ矢尾板貞雄さん


日本最高のボクサーと呼ばれ、解説でも優れた分析力を発揮した矢尾板さんが亡くなった。先月26日に吐血して入院。リハビリを計画していたが9日に容体が悪化し、一度持ち直したものの13日に再び悪化。2人の息子と3人の孫らに見送られ、帰らぬ人となった。

1935年11月28日生まれ。東京都渋谷区出身で中学時代にボクシングを始め、高校卒業後の1955年に国光ジム(後に中村ジムへ名称変更)からプロデビュー。スピードとスタミナを生かしたアウトボクシングを武器に、58年にフライ級の日本、東洋(現東洋太平洋)王者になった。 
59年1月、白井義男から世界王座を奪ったパスカル・ペレス(アルゼンチン)に東京で、ノンタイトル戦ながら判定勝ち。同11月に王座を懸けて大阪で再戦し、白井に続く世界王者誕生に向けて日本中の注目を集めた。2回にダウンを奪ったが、スタミナを失って逆転の13回KO負け。多くの涙を誘い、テレビ中継の視聴率は現在とは異なる聞き取り調査ながら92・3%を記録した。

ペレスに敗戦後、当時では異例の海外武者修行を敢行。黄金のバンタムの異名を持つエデル・ジョフレ(ブラジル)、ジョー・メデル(メキシコ)ら世界的名手と闘い、敗れながらも存在感を示した。

1962年10月に2度目の世界戦としてポーン・キングピッチ(タイ)との対戦が決定。しかし、優位とされていたタイトルマッチを4カ月後に控えた6月に突然、現役引退を発表した。所属ジム会長との確執が原因で、「引退しろ」と罵倒されて「ならば引退してやる」と売り言葉に買い言葉で決意したとされる。プロ戦績は66戦53勝(7KO)11敗2分け。

引退後は本紙評論家やフジテレビのボクシング中継「ダイヤモンドグローブ」で解説者を長く務め、「競馬エイト」で予想コラムを持っていたこともある。昨年3月に博子夫人を亡くしてからは東京都内の自宅で1人暮らしをしていた。

◆元世界ミニマム級王者で、世界バンタム級3団体統一王者の井上尚弥らを育てた大橋ジムの大橋秀行会長(57) 「自分の現役時代も、うちのジムの世界王者らの場合でも、タイトル戦前の矢尾板さんの解説記事にだけは必ず目を通しました。矢尾板さんの解説には忖度(そんたく)というものが一切なかったからです。試合直前に『そこだけはつかれたくない』というポイントをいつも鋭く指摘されましたが、矢尾板さんの解説には怒りが湧くどころか、大いに参考にさせていただきました。本当にすごい方でした」



あぁ


ボクシングマガジンの「熱戦譜」のコーナーを食い入るように読ませていただきました


また、昔の名勝負の実況解説もまた懐かしい


僕の世代となると矢尾板さんの強さは歴史関連や伝記でしかわからないんだけど…



あぁ


当時のニュース映像見つけました


ノンタイトルで時の世界チャンピオンを破ってしまった、と


まさに、「幻の世界チャンピオン」


解説者として、評論家、コラムニストとしての矢尾板さんには大変お世話になってきました


いやぁ


やっぱり、寂しいなぁ


僕の父親と同世代になるだけに…


本当におつかれさまでした


そして


ありがとうございました


御愛読感謝