「写真」で感じろ‼︎「ザ・グレイテスト」の眼光をっ‼︎ | ボクシング&ロック野郎 higege91の夜明けはまだか?

ボクシング&ロック野郎 higege91の夜明けはまだか?

人生の曲がり角に遭遇したボクシング&ロック・マニアhigege91。暇を見つけてはホール通い。ああ、俺は戦っているか!? ああ、俺は俺の求める『俺』に近づいているのか!?


え〜とですね

本日はある知り合いの方にいただいた「写真」を披露させて頂こうと思います

「写真」って、そう言えば最近は手にしないなぁ、と

いわゆる携帯からスマホ時代になって以来、誰しもが24時間カメラを手にしている状態になって久しいわけでありますが…

今はほとんどの写真がデータ管理で、ハードディスクやクラウドの中…ですわな

んで、しかし

今回、僕が語っているのは、いわゆる、印画紙に感光させて像を焼き付けた、いわゆる昔ながらの「写真」についてであります

さて

昭和時代はみんな「フィルム」を使ってましたな

「フィルム」って、現像するまでちゃんと撮れてるかどうか⁈ ってわからなかったわけです

最低限の知識とテクニックがなければ「映らない」ってのが「写真」でありました

現代は「その瞬間に画面(モニター)に映し出されているモノ」がほぼそのままに捉えられている…わけですが

「アナログ時代」は違いましたわ

「露出」に「シャッタースピード」が噛み合わないと「いい写真」にはならなかったわけ

決定的瞬間を捉える「感性」と合わせて、ここが「プロの技」の見せどころでもあった…と

今のように「誰でも撮れる」って感覚はなかったですわ

こういうイメージあります




まさに、「対象に喰らいつく」という姿勢が、昭和時代の「写真」だった気がするなぁ





やっぱり 巨匠 土門拳 さんの写真集なんかを開くとさ

その撮影者の圧倒的なる人間力があってこそ、初めて、その「対象の本質」を暴き出せる…って感じたものであります



ううむ


なんか、「戦ってる」というか、「哲学している」というか、「探している」というか、「求めている」という強い感じありますよなぁ


「アナログ時代」に「写真」を撮る…ってのは、やっぱり今とは完全に違ったなぁ〜


んで


話を戻します


そんな「時代」と「アナログ」を踏まえた上で、「写真」を味わうと、より、その素晴らしさが浮き彫りになる…と思うわけであります


さて


で、改めて


知り合いの方にいただいた幾枚かの「写真」を鑑賞したい…と思います





カシアス・クレイ






モハメド・アリ


…だと考えているわけなんですが


みなさまご存知の通り、「カシアス・クレイ」と「モハメド・アリ」は同一人物であります


けど


その「改名」の意味はあまりに深く、悲愴なる「覚悟と決意」が秘められているわけであります


その真偽は諸説あるようですが、Wikiから引用させていただけば…


> (ローマ五輪の)金メダルを首から下げ白人が経営するレストランに入店しチーズバーガーを注文したところ、ウェイトレスから「たとえ"カシアス・クレイ"であろうと、黒人に食事は提供しない」と言われたため、「アメリカを代表して金メダルを取っても黒人差別を受けるのならば、この金メダルには何の価値もない」と考えたアリは金メダルを自らオハイオ川に投げ捨てる事件を起こした


とあり、さらに…


> プロ転向直後にネーション・オブ・イスラムの信徒であると公表し、リングネームを現在の本名である、ムスリム(イスラム教徒)名モハメド・アリ(ムハンマド・アリー)に改めた


…とある


あのさ


もしかして


1枚目の写真がアマチュア時代で、2枚目の写真がプロ転向後…じゃなかったら申し訳ないんだけど


僕はこの2枚の写真を並べながら、そうなんじゃないかなぁ、と感じながら見つめたんだ


「柔らかい眼光」のカシアス・クレイ と「厳しい眼光」のモハメド・アリ の、その『間』にあるもの…にぐっと来たわけ


まさしく


悲愴なる「覚悟と決意」が、この2枚の写真の『間』にあって、これこそが…


「ザ・グレイテストの生き様」


であり、今なお、世界中の人々から愛される理由なのだ


さらに


モハメド・アリは徴兵招集を拒否し、貴重なるボクサーとしての全盛期の一部を奪われてもいるわけですな


…と、そんなことを考えながら鑑賞すると、さらに胸に「熱いもの」が去来してくる


そして


「私とは何者なのか」


あるいは


「私は私にとって、どういう私でありたいのか⁇」


…という「アリの声」が聞こえてくるような気がしてくる


やはり


スマホの画面に写る画像とは違う


印画紙に焼かれた「写真」じゃないと、ここまで込み上げてこない…と感じたわけです


いまや動く映像もデジタルになって久しいけど、なんか昔のフィルムルックというか、肌触りが恋しくなる…って感覚がかなりありますなぁ


ただ、懐かしい…っていうか


「写真」にしても「映画」にしても、昔はシャッターを「切る」っ意味の重さがかなり違っていたように思う


すぐに消したり、すぐに撮り直したり、後で加工したり出来なかったわけで、もうさ、「瞬間」に対する「気合と想い」が今とは全く違っていた…と感じちゃう


こんなこと書くとプロのキャメラマンに「瞬間」との向き合い方に違いはない…と怒られちゃうかもしれないけど


やっぱりさ


昔のアナログカメラで試行錯誤した記憶あるものとしてはさ、そういう感覚あるんだ


メチャクチャ撮影失敗してさ、貴重なお小遣いをいくら無駄にしたか知れないしさ


(^^;;


さて


改めまして


素晴らしい「写真」をわけて頂き、本当にありがとうございます


ずーっとずーっと大切な「宝物」にさせていただきます‼︎


御愛読感謝