「ボクシングはテレビなんかじゃ伝わらない!!」…について | ボクシング&ロック野郎 higege91の夜明けはまだか?

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人生の曲がり角に遭遇したボクシング&ロック・マニアhigege91。暇を見つけてはホール通い。ああ、俺は戦っているか!? ああ、俺は俺の求める『俺』に近づいているのか!?

おつかれさまです。


現在随時募集中の「素人衆から経験者衆への質問」には幾つか回答メールを頂戴しています。


本当にありがとうございます。


随時回答募集!!「ボクシング素人衆から経験者衆への質問」コーナー!!  


よろしければ、上をクリックしてもらって「経験者の気持ち」を少しでもお寄せいただければ嬉しいです。


僕はいただいたメールを選別するつもりはなく、全てアップさせて貰うつもりです(その希望がない方は載せませんが)。


で、今日は「テレビ観戦」と「生観戦」の違いについて少し書きたいと思います。


それというのも、昨晩深夜に「ダイナミックグローブ」の録画再放送がCSチャンネルでやっていて、僕はなんだか寝付けなくてぼーっと観ていたわけですね…


これはメインが「冨山×相澤」の東洋太平洋スーパーフライ級タイトルマッチの9月20日のホール興行…でありました。


特に、僕が生観戦していて燃えたのがスーパーフェザー級8回戦、日本6位の川村貢治選手と杉崎由夜選手の戦い…


川村選手はかつて全日本新人王を獲得した超ハードヒッターで筋肉隆々、褐色で「強気」なボクサー…


杉崎選手は21歳とは思えない冷静さを備えたきれいなフォームでパンチを打ち込む色白の「クレバー」なボクサー…


強引な強打から突破口をこじ開ける川村選手を、やや迎え撃つ形でチャンスを探る杉崎選手…


さて、この立ち上がりのジャブの差し合いが凄かったのだ…


両者それぞれ相手を探りながらのその序盤、会場は異常な緊張感に包まれる…


その均衡が破れる瞬間を見逃すまいと、あまりにも鋭く緊迫した両者の「探りあい」に、僕は背筋が震えたわけである…


パンチ力では川村選手だが、ある種の繊細さとタイミングの妙を知っているのは杉崎選手…と、僕は見た。


で、僕はなんだか奇妙に、この色白の杉崎選手の間合いと冷静さ、そして、両者の距離が交錯した瞬間にカウンターとなって打ち込まれる綺麗なパンチに引き寄せられていったのであります…


しかし、試合はフィジカルと圧力で勝る豪腕の川村選手が判定をモノにしたわけですが、あの「緊迫感」と「興奮」ですが、全然伝わってこない…って、なんだか深夜の午前4時にイライラが止まらなくなってしまったのである…


もっとも、それは当たり前の話なのですが、「あまりにも響いてこなさ過ぎ」…と、頭に来たわけですね…


僕は「日テレG+」には本当に感謝をしているし(もうある程度高くてもよし)、4時間もあるボクシング興行を満遍なく取り上げてくれることに敬意さえ感じている。


さらに、4回戦選手の試合まできっちりオンエアーしてくれて、彼らの大きなモチベーションとなっているだろうし、こういう形で「プロとしての張り合い」を思い切り感じているだろうから、そういう意味では、全く文句の付け所はない…


で、僕が言っているのは、「臨場感」なるものの真髄を知って貰うには、もう足を運んで貰うしかない…ってことで、これが浸透しないことへの苛立ちであり、そして、あのような「緊張感」が小さなテレビのブラウン管の中に収まるはずもなく、あれほどの「凌ぎ合い」がこんなに小さく閉じ込められちゃうのかよ…って悶えなのですが、昨夜はやけに狂おしかったわけです…


ある種の均衡が破れる瞬間…


テレビでは「当たり前の1秒」として流れていってしまうこの1秒が、本当に「10秒にも20秒」にも感じられる一瞬がそこに存在するのに、それが伝わってこないことの苛立ちは、本当に辛いものがある…


そして、それは同じ瞬間を味わう観客がたくさんそこにいるから臨場感が違うのではなくて、「抜き差しならない瞬間」が目の前で繰り広げられるから、「時間が伸び縮みする」のである…


で、僕は映画作りを生業にしていますが、実はもう映画をあまり観に行かない…


それは映画よりもボクシングにお金を使いたいからですが、しかし、「映画」というものの構造を並べて考えてみても、「生観戦」の面白さの秘密が理解できると思う…


これは当たり前な話なのですが、「見るしかない環境」…と言う意味の重さの話である。


僕は映画をどのように観るかといえば、あらゆる意味で、その「監督の視線」の連続が映画であることは明白ですが、真っ暗な劇場で光と影(映像の根幹)、そして、音と音楽を駆使した「監督のマスターベーション」をいかに気持ちよく受け入れられるか…という見方をする。


劇場の椅子に腰掛けるということは、その2時間あまりの上映時間の間、観客は「向き合うこと以外許されない」…ということであります。


ここで、一般の方は「受け入れる」ことに専念して貰えばよいわけですが、その先は「満足したか否か」の問題である。


僕は可能な限り「挑みかかる」ようにして向き合うようにしている。


嫌な言い方ですが、「粗を探す」わけであります。


そうすると透けて見えてくるのが「自分の目線」…であると思うからです。


僕ならば「ここ」に光を当てたい、僕ならば「彼の気持ち」を表現するのに、敢えて情景と音だけで表現してみたい… 多分、その方がもっと「彼の心」に迫れるのではないか…? なんて考えながら見る。


が、しかし、それでも「挑みかかること」を許さない、とてつもない映画が多数存在するのは言うまでもありません。


さて、明るい部屋で映画を見ても、「真剣勝負」的に、あるいは、異常なほどの「集中力」を発揮しながら鑑賞することは僕にはできない…


もちろん、テレビ画面で観ても感動するし、テレビドラマでも涙が出ることはある…だけれど、「脳髄に刻み込む」には、映画の場合はなんと言っても劇場鑑賞であります。


半ば拷問のように2時間そこで集中力を発揮し続けなければならない状況…


これが映画の醍醐味だと思うし、そして、なんといっても「ボクシング生観戦」の醍醐味でもある…


僕は昨晩、そのあれほど緊張した「川村×杉崎」をテレビ画面で観ながら、座椅子の角度が気になって仕方がなかったのである…


で、イライラ…し始めたのである。


これは一体なんだ、「ありのまま」を映しているはずのテレビ中継録画が、やけに許せなくなっていったのである…


ああ、座椅子の角度が気に入らないって感じている、そんな自分自身が気に入らないのは、これがテレビ中継だからで、これが「1秒を当たり前の1秒としか映せない」からだ…と、眠らなくちゃいけないのに僕の目をギンギンにしてしまったわけであります…


嘘とは言わないけれど、「本物」ではない…


だって、視聴者は「観ることを強いられていない」「感じることを強いられていない」「集中することを強いられていない」…


お茶を飲みながらお煎餅をバリバリしながら観るボクシングテレビ中継も嫌いではないし、家族でその決定的なカウンター打法とタイミングを語るのも素晴らしい…


が、血管がぶちきれるほどの集中力と丸裸にした感性を通じて「生観戦」した時の、あの「時を忘れる無我」に僕は飢えている…


「あぁ!!」


あの、どうしても喉から出てきた声を抑えられない「緊迫の一瞬」…


その僅か「1秒」が20秒とも感じられる「永すぎる一瞬」…


そして、もう脳髄に焼きついて離れなくなった「永遠の一瞬」とは、頭の中でしか存在し得ないものなのである…


などと、ぶつくさ考えながら夜明けを迎えたわけでありますが、本当に我ながら僕は頭がおかしいんじゃないか…なんて考えて苦笑しているわけであります。


あぁ、明日、ついに明日であります…


日本スーパーバンタム級タイトルマッチ&日本フェザー級タイトルマッチ王座決定戦、ダブルメインの「ダイナミックグローブ」…


きっとチケットは完売でしょうね…


せめて生中継…という方もいると思いますが、残念ながら「G+」は録画中継でありますね。


生観戦します。


そして、血管がぶちきれない程度に、いや、ぶちきれてもいいから、僕の全存在を賭けるほどの「集中力」を発揮して、「極楽拷問」を味わいたいと思っています…


たまらん…


御愛読感謝


つづく