24日のWBA世界フェザー級タイトルマッチを生観戦した後、挑戦者・榎選手の悔しい敗北を胸に飲みに出かけた居酒屋での小話…
そこで一杯ご一緒したのはサラリーマンのNさんであった…
1990年に、大橋秀行さんが3度目の世界挑戦で、当時のWBC世界チャンピオン、崔漸煥を9R左ボディブローでKOで倒し、日本国内ジム所属選手の世界挑戦連続失敗記録を21で止めた伝説の一戦を観て以来猛烈なボクシングファンになられたという40代の筋金入りのボクシングファンのかたである…
で、その方から聞いたお話…
N「…あのね、昔うちの会社に4回戦の現役プロボクサーが入ってきて一緒に仕事をしてたことがあるんだけれど、そいつの試合が決まった時に、僕はこう言ったんだよ…」
お酒はすでに入っている状態であります…
N「…ぶちのめしてケチョンケチョンにしてやれ!! 向こうだってそういう気持ちでくるんだから、親の仇だーっくらいの気持ちでぶっ倒せ!!! って…」
僕「…なるほど」
N「憎んで憎んで恨むくらいな気持ちでぶちのめしたれっ…!!! って、僕は言ったんですよ」
僕「…そうですね、それくらいの意気込みで戦わなくちゃですよね」
N「…そしたら、そいつがこう言ったんですよ」
僕「はい…」
N「…減量の苦しみで不眠に陥って、枕や布団を抱えて空腹を紛らわし、やがて夜が明けて、空が白くなり始めたころにようやく睡魔がやってくる、で、もう少しで眠れるかなかな…って感じるんだけれど、でもやっぱり眠れない」
僕「…はい」
N「ならば、なおさら闘志を沸かせて、そいつを許せないくらいの気持ちで『よくも俺にこんな想いさせやがって』ってな気持ちでやったれや!!! って僕はさらにそいつに言ってやりました… だって、どうしてもそいつに勝ってもらいたかったから…」
僕「…わかります」
N「…で、そいつは言いました、減量が苦しくて眠れなくて、そんな苦しい時はあることをどうしても考えちゃう…って」
僕「…はい」
N「…プロのリングは命懸けだ、もしも強烈な一発を食らったら、それで連打を浴びて倒されたら、それで、もしも、打ち所が悪かったら…って…」
僕「…」
N「下手を打ったら死んでしまうかもしれない…ってどうしても考えるとやっぱり恐ろしくて恐ろしくてもっと眠れなくなる…、この恐怖感は信じられないほど強烈なんです…って、そいつが言ったんですよ」
…非常に重い言葉であります
こういう気持ちは当事者にしか、そう、プロのリングで戦う準備をし、そして、そのような熾烈きわまる過酷を選んだ者にしか絶対にわからない境地であると僕も思う…
つまり、そういう精神世界での戦いを選手たちは経てから、そして、試合当日がやってくるわけであり、素人ファンや一般観客たちはその悲痛を軽んじている部分は確かに認めざるを得ない…
プロボクシングのリング…というのは、やはり、「特殊な世界」なのである…
昔は食いたくても食えなかった…
しかし、今は食えるけれど、自分から食わずに戦うことを選ぶ時代である…
プロボクシングにおいて、特に重要とされる「ハングリー精神」…という言葉を思うとき、真っ先に浮かぶのは「減量苦」でありますが、しかし、死ぬ気で戦うと腹を決めた対戦相手を迎え撃つ為の「心の準備」…という戦いもまた、想像を絶するものが存在し、そして、これを克服するためには、はやり、絶対的な自信を得る為の「練習」を自らに課すしかない…のである。
もちろん、僕にはその境地は「観念」でしか理解できないですが…
それをイメージして、さらに、かみ締めながら試合観戦するように務めてはいる…が、それが偽善的である…と批判を受けることもありますが、こればかりはいかんともしがたい。
僕は見て、感じることを喜びとしていますので、そのような厳しい批判があっても仕方がない…とは日々感じている部分ではあります…
僕「…そうですね、で、彼はその後で何と言ったんですか?」
N「…こんなにも恐ろしいくて、こんなにも苦しい『時間』を、僕と戦う相手も過ごしているんだ…って思うと、僕はその相手を恨んだり、憎んだりできないんですよ…って」
僕「…」
N「…そいつは、こう言ったんです」
僕「…なんて?」
N「…どうしても、尊敬せずにはいられない、って言ったんです」
僕「…!!」
N「…で、これほどの『苦しみ』と『恐怖』との戦いを自分と戦うために潜り抜けてくれた相手と戦うんだ…って、自分に言い聞かせて、それで、相手に失礼にならなために、僕は準備をしているんです…って、そいつは言ったんです」
…Nさん、素晴らしい話を聞かせてくれて、本当にありがとうございました。
つい最近ですが、実は選手の「減量失敗」で中止になった試合や、グローブハンデ等が発生した試合に、僕は「2試合」遭遇しています…
僕たち観客は、選手たちの「準備の苦しみ」の熾烈きわまる過酷を、ぶっちゃけ、「頭でしか」理解できません…
しかし、それでもそういう試合に遭遇すると、複雑な気持ちにならざるを得ない…
規定の条件を満たして準備してきた選手を応援したくなる…
しかし、先日のある試合では、そのグローブハンデを背負った選手が、条件を満たして「きっちり準備した選手」を判定で破ってしまった…
試合終了後、その「勝ってしまった選手」は、試合終了後に相手コーナーへトレーナーとやってきて、深々と、長い間、頭を下げていた…のを僕は見た。
勝者の気持ちと敗者の気持ちを考える…
なんとも言えない気持ちになる…
そして、ボクサー同士、その拳と拳で戦うことを約束した、選手同士に芽生える『尊敬』…という言葉を想う。
さらに、試合が決定した瞬間から、その戦いのスタートが切られている…と言う、「準備期間」の戦いの熾烈と過酷を想う。
尊敬…
そう言えば、Nさんにそう言った「彼」がその試合に勝利したのかどうか…?ってことを聞き忘れた、と思ったが、「きっと、勝ったに違いない」…と思い直した。
ボクサーにとっての勝敗とは、たくさんの意味があるのだろうと考えたからだ…
御愛読感謝
つづく